慶びの挨拶が出来ない新年を迎えています。
昨年の5月から入院していた父親が、12月に亡くなりました。
俺が産まれた時には、それはそれは溺愛してくれたそう。
哺乳瓶などの口を付けるものは、全て煮沸消毒してたとか(笑)
オヤジの母親とそのお姉さんが、田舎で旅館をしていて、オヤジはオレを抱いて1番風呂に入れてくれてたらしい。
たまに湯船で粗相もしたらしいが(爆)
幼稚園、小学校の時は、いろんなオモチャを買ってくれて遊んでくれたかな?
でも今思うと、オヤジ自身が楽しめるオモチャばっかりだった様な気がしないでもないが(笑)
中学なってからは、親からも離れ外で遊ぶ様になり、あまりオヤジとの思い出がない。
高校受験の時には、なにを今更な感じで「滑り止めを受けとけ!」と言われて、イヤイヤ受けに行ったかなぁ、、、。
大学受験の時は、何も言わなかったな。
大学の卒業前に「社会に出たら、嫌なこと、道理に合わない事も経験することになるやろう。だけど、やれることをやれ」みたいな事を言われた。
オヤジの父親(オレのじいちゃん)が亡くなった時は、それまで家で酒を飲まなかったオヤジが、浴びるほど酒を飲んでいた。
火葬場では、人目もはばからず、大泣きしていた。
妹が嫁いで家を出てからは、極端に話をしなくなった。
定年を過ぎ70後半のある時、脳梗塞になった。
幸い自宅で気が付き直ぐに病院に連れて行ったので、大きな後遺症も無かったが、退院後は極端に臆病になってしまい、外出もしなくなり、食も細くなり、ここ最近は、髪の毛も整えずほとんど居間に寝転がってた。
オレが横浜に移動になって、しばらくして、自宅で転けて、腰の骨を骨折。
これがすべての始まり。
「老いたカラダで骨折は命取り」って、なんかで聞いた気がするが、そのまんまになってしまった。
あまり周りに影響されず、好きな事を好きな様にやってたオヤジで、特に家族の話や意見は、ほとんど聞かなかった。
仕事は出来た様で、大抜擢されたり、優遇もされたりしていた様だが、自分のやりたい事をしたかった様で、大きな会社には全く見向きもしなかった。
最期は看取ってやれなかった。
こんな事を書くつもりは無かったのだけど、、、
書き出すといろいろ思い出す、、、。
8月頃だったか、もう時間の問題やなと感じていたので、家族から訃報を受けた時も「あぁ、そうか」って感じやった。
通夜と葬儀の最中も、終わってからも、その感情には変わりはない。
生かしてやれる事は出来た。
けど、そこにオヤジは居るのか!?
いろんな管を付けたがる病院に意見をし、結局、病院を変えた。
あれで良かったんだと思う。オヤジも嫌がってたしな。
最期も、苦しむこともなく、寝るように、、、。
年明け早々に、重い話を書き綴ってしまいました。
なかなか書いたはいいものの、公開したものかどうか、、、
かなりプライベートなことですから、、、
ようやく一人前なのか、、、。
なにはともあれ、今年も何卒よろしくお願いいたします。